連日世間を賑わせているフジテレビ。
その、取締役相談役で絶対的権力者といわれている日枝久氏。
日枝氏はなぜ権力者となったのでしょうか。
本記事では、過去に起こったフジテレビの創業者追い出し事件について調査しまとめました。
日枝久はどんな人物?
日枝久氏は、フジサンケイグループの代表の他、様々な関連会社の役員を兼務、
フジテレビの「天皇」とも言われています。
どういうことなのでしょうか?フジテレビと、フジ・メディアHD、その他関連会社との関係をわかりやすくまとめた図をご覧ください。
日枝氏は、フジテレビの役員だけでなく、親会社であるフジ・メディアHDの役員も務めています。
それだけでなく、70社以上から成るフジサンケイグループの代表として最も影響力のある人物。
それで皮肉を込めて「天皇」と呼ばれているのですね。
鹿内宏明ってどんな人物?
鹿内宏明が議長に就くまで
- 創業者の鹿内信隆は、引退後息子の春雄にその地位を譲った
- 1988年春雄が若くして急逝
- 創業者信隆は自ら議長に復帰
- 次女の夫の宏明にグループ入りを要請
- 宏明は当時務めていた日本興業銀行を退職
- フジサンケイグループ議長代行とグループ基幹3社(フジテレビジョン、産経新聞社、ニッポン放送)の代表取締役会長代行に就任
- 1989年フジサンケイグループ会議の議長、グループ基幹3社の代表取締役会長に昇任
- 1990年創業者鹿内信隆が死去
【まとめ】日枝久は鹿内宏明の首を取った?
日枝氏がクーデターで鹿内宏明氏を追い出したと言われていますが、
一体何があったのでしょうか?みていきましょう。
クーデターの原因
- 創業者の鹿内信隆、2代目の春雄を相次いで失い、創業家の求心力が低下したこと
- 3代目の宏明が在任中実績をほとんどあげられなかったこと
- 「宏明が出社すると社の他のエレベーターが全て停止する」「役員全員が正門で出迎える」などの怪文書や噂話
クーデターの内容
この解任騒動のグループの中心が日枝氏だったといわれています
こうして鹿内家のグループ経営支配は終わりを迎えました
こうして騒動を制した日枝氏が、2001年フジ・メディア・ホールディングス代表取締役会長兼CEOに就任。
2008年株式会社フジテレビジョン代表取締役会長兼CEOに就任するなど影響力を増していきました。
【まとめ】フジテレビ創業者追い出し事件
日枝氏をはじめとするクーデターを起こした勢力も、
創業家の悪い影響力が拡大しているのを感じて、組織をより良くするために動いたのかもしれませんね。
皮肉なことに、今はその責任を問われる立場となった日枝氏。
今後表舞台に出てくる日は来るのでしょうか?フジテレビの今後の動きに注目したいですね。
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